no memory.記憶になくても思い出せる。

IMG_1131.JPGひとは思い出すために忘れるのだと思う。そのための今。

 

耳とほお骨と指の雰囲気が似ているように感じるも

髪の量とかも かな

 

話からイメージしていたそのひととはまた違った感じで不思議な気持ち。

 

眉の描き方が力強く真っ直ぐだったからか(その時代の流行り?)

意志がしっかりして見える。

 

この写真はまだ25歳くらい。

 

この年頃のわたしは似ているかもしれないな。

 

今のわたしの年齢くらいの母の写真も見てみたいかなあ。

一緒に写っている写真は1枚もない。

 

母の記憶も愛された記憶も

なにもかがないけれど

 

確かに愛は存在していたし今もあるのだ。と理由もなくただそうおもう。

 

おもいたいだけだとしてもそれはそれでいいじゃない。

 

母が存在して

わたしは今ここに在る。

 

ありがとうございます。

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