not be afraid.こわいものなんて何もない。

気がつけば  こわいものが増えている。

いつからか。

 

確か 前は(いつからが前かな)  こわいもの知らずで生きていたような。

こわいものを知らない。なんとこわいことだろうと今は思うけれど、知らないのだからこわくない。

こわくないから、感じるまま生きてきた。それだけにまわりのひとはどれだけそんなわたしをこわがっていたのだろう。今 自分がそんな自分をこわがるように。

 

しあわせ という言葉や価値観がある限りどちらでも結局はこわいことは少なくはない。

しあわせ過ぎても こわい。

しあわせじゃなさ過ぎても こわい。

 

えもしれない不安にたちまちのみこまれそうになる。だからひとはいつも何かしらと、それは自分だったり(結局自分しかないのだけれどね、たたかう相手は)たたかっていなくてはならなくて 真に安らぐ時がほとんどないだろう。

 

一体どうしたらいいんだ? と問いてみれば それはいたってシンプルで簡単なこと。

たたかうのを止める。

自分と仲よくする。自分をこわがらせるものは自分の中にしか存在しないのだから。

しあわせは条件付きのものではないと知る。今の自分が常に100%。それ以上それ以下もないのだから。その今は瞬間でクルクルと変わる。

それには

自分が今 何を求め、何をしたいのか きちんと聞く。ココロの声にココロを傾ける。

 

 

それは感じるままに生きるということっはないか。こわいものなんて何もない。と生きることではないか。

 

「こわいものなんて何もない。」  と

宣言することではない。無意識のうちにそう生きること。こわいものなんて何もない。と言ってしまえば、こわいものがたくさんある。ということの裏返しだ。

こわいものを知らずに生きていたわたしと、こわいものをたくさん知ってしまった今とを混ぜ合わせ、いい感じでこわいものとおつきあいして生きたいな。

できるかな。

できると思う。

できる方がいい。ということを知ったから。

 

写真は恵比寿のイタリアンレストラン。10年続けてきた生花のDIAPLAYを今年から生花以外のものに。

こわいもの。の代表に、「変化」がある。 が、変化好きのわたしにはこわいものではない。変化を恐れて何もしないことの方がよっぽどこわい。

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