be pure. なにを表現する。

昨日のお休みはお掃除の前にお片付けーと片付けしながらいつのまにやらお仕事の領域に踏み込んでしまい止まらなくなるも、きれいになるならいいかーとゆるり仕事していました。色色創作するなかで仕事ではありませんが夏に「じゃあ書いてみるねー!」と約束していたある言葉を描きはじめ1枚目でもいいくらいだったけれど4枚目を清書にしました。何枚描いたとして、何枚も書けば描くほどつまらないものになっていってしまう。というのを「立土」で経験したことを覚えていたみたい。実際は二文字ですがその流れで「花」を3枚だけ描いてポストカードにしようと目論んでます。写真ではわからないけれど二文字はフレームに入っていて色色細工(LOVE注入)しています。墨の表面には雨に見立てインターナショナル・クライン・ブルーを散りばめています。イブ・クラインが

」を宇宙の神秘的なエネルギーに通じる最も非物質的で抽象的な色だとして重用

としたとあるように私にとっても紫と同様に青は特別な色。

 

今回の制作では花が生きるのに欠かすことのできない雨、ココロを浄化する涙、生命の源の水、青の星地球から、宇宙をイメージする紫との融合を楽しんでいます。

 

書は、まるで素人。基本も知らないで描いています。描く。と表しているのは、「絵を描くように書くといいよ。」「余白の白の部分が大切。」「日常すべてがアート」との昔々インスパイアされた言葉たちからわたしなりにすべての書道家、画家、アーティストへのリスペクトの念を込めて。

 

わたしなりの表現を楽しむ時いつもココロにあるのは鶴太郎さんが20年くらい前にひらいた初個展に思いがけず伺えた時の鶴太郎さんのはじめの言葉。

うろおぼえではありますが

「書家や画家の先生方には本当に申し訳ありません。僕はただかきたいのです。表現したいのです。」

その姿勢にココロをズキュンと打ち抜かれ、作品たちもそれはあたたかくLOVEに満ちていてとても素晴らしくてわたしのなかできっと今も生き続けているのでしょうね。

その初個展の会場では各方面の先生方ももちろんいらしていたことでしょう。その先生方に習っている生徒さんもたくさんいらしたことでしょう。聞こえてきた会話の中で「ここの筆の入り方が違う、、、」というのがとても印象的でした。テクニックや経験やセンスの前に、最終はもちろんすきかすきでないか。になるとは思うけれど、その前に。そのひとの純粋な表現したいというココロをLOVEを感じられるようでありたいと思いました。今もその思いは変わらずに。

テクニックや経験やセンスが豊かでも。テクニックや経験やセンスがまるでないとしても。

どちらだとしてもそこに純粋さが感じられない作品にはどうしても惹きつけられないのは作品の後ろにある、うまく見せたい。評価されたい。すごいと思われたい。、、、、という創り手のおもいが作品よりも強く出てしまっているのを感じ取ってしまうからなのでしょう。これは自分にも言えることでいつもいつもいつも自分に問うことです。

 

その創りだすものの前にいつも純粋であるか。

 

それはひとの前でも同じこと。相手は鏡。自分のココロが創りだす。

 

 

すべてを前にして純粋であれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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