mistress of plants. 植物の愛人。

私は植物の愛人として生まれ来た
あるいは草木そうもくの精かも知れん 

植物学者 牧野富太郎の言葉。

 

ある日お散歩の途中に立ち寄った本屋で見つけた「なぜ花は匂うか」の著者。

「私は植物の愛人として生まれてきたように感じます」というあまりに衝撃的なコピーにその場をしばらく離れられなくなった、、、、、。訳があってその本はまだ連れて帰っていない。

 

わたしは 花のなんだろう。

 

牧野氏のこの言葉にロマンティックでセンチメンタルなおもいを馳せるのはあまりにも簡単だが決してそんな浅はかな想像は届くはずもない聖域のようだ。

 

草木や花を目の前にしても、牧野の心には情緒が存在しなかったのではないかと思われる。どうも牧野富太郎は学問的に植物を愛した方が強いように疑問を感ずる。牧野にとって植物は全て植物学者の研究の為に存在すると思われていた。牧野は遺伝学や生態学を考慮せず、植物学を分類学でしか見ない面があったと云う。

 

あくまで牧野氏ではないひとたちの見解。本人に直接聞いてみたいな。「なぜ花は匂うか」を読めばわかるかな。

 

わたしは 花のなんだろう。

 

情緒が存在しない愛人とは?

 

そのもののなかにいればそのものが何かはわかることはできない。

愛しかない世界で

光しかない世界で

愛を愛と感じることはできない。

光を光と感じることはできない。

闇があって光を感じられるように。

そのものとの距離があってはじめて認識できるのだ。

 

わたしは 花のなんだろう。いつかわかるときがくるだろうか。

 

このままわからないままにしておこう。と思った。

 

「花あれバこそ 吾も在り」  牧野富太郎

 

 

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