I’m always in Love. 愛に包括される恋。

この芍薬の花の写真は熱烈に恋をしている時に撮った。

その時の情熱的な思いがそのまま露われている写真だと感じている。

30年近くの撮影してきた膨大な数の写真の中でも

とっておきの1枚。

花の仕事とほぼ同時期に写真を撮り始めた。

 

その対象をずっとずっと見ていたいおもいからはじはり

デッサン(落書きのようなもの)をしたりしていたけれど

毎日の慌ただしい生活のなかあたりまえにそこにそんな時間をかけられなくて

写真を撮る行為に自然と移行した。

その頃はひともたくさん撮った。撮りたいものがたくさんあった。

白黒でも。

白黒だと色が付いているよりことさらにその写真に写りこむものたちを

よくよく見ようとする意識が働く。と教えていたいただいたことがある。

 

季節はいつなのか。

朝?  夕暮れどき?

何色の花、何色の服、、、、、。

 

色が付いていることで一目瞭然でわかるようなことをじっくり時間をかけて

想像する楽しさがよりその写真との結びつきを強めるような。

 

今も花をいけるように写真を撮る。

花と写真。わたしにとっては似て非なるもの。

冷静と情熱 的な。受け取る、差し出す、的な。

背中合わせ。ふたつでひとつ。どちらも必要。

 

その恋は片思いに終わった。今 そのひとは気の置けない友人のひとり。

 

よくよく

いつも恋をしているイメージだと言われる。

愛のひと。とも。(愛、愛 しつこく言っているからだと思う。)

 

確かにそうなのかもしれない。とは感じるけれど

この写真を撮った時の恋と 今の恋は大きく変わった。

 

欲しい欲しい欲しい。という恋をしていたように思う。

どうしても欲しい。なんとしてでも欲しい。全部欲しい。

そんなに欲しがると手に入らないものだ。

それでも欲しかったのはたったひとつ 愛。

ただ欲しいだけで与えることを知らなかった。

 

ひとは本当に変われば変わるものだ。(実際は変わる。のではなく自分のなかにもともと持っている また別な側面が出ている。ということなのだけれど)

 

 

愛おしい毎日の繰り返しの中で恋に落ちる瞬間がある。

それは静かで穏やかでこの世界すべてに感謝する瞬間。

毎日毎日一緒にいる花たちの 愛しているだろうことさえも忘れてしまう花たちの

あまりのに美しさにココロ奪われる それが 今のわたしの恋。

 

写真を撮る。それも愛の行為。

その愛の行為のなか恋する瞬間にシャッターを押す。

 

 

 

 

 

 

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