All we have to be is pure. その前に純粋であること。  

わたしにとって花をいけることは無になれる行為のひとつです。
無にならないと花はいけられません。
言ってしまえば花をいけるのはわたしではないのです。

23年間、花の仕事を続けてきて
自分に課してきた最も大切なことは
花を前にいつも純粋であること。
ここで言う純粋とは全てをさらけ出すということです。
決して善人である、いいこでいるということではありません。
自分の心を取り繕う事なくそのままの
ありのままの自分で花と向き合う。

人間ですからもちろん、調子の悪い時もたくさんあります。
ココロもカラダも。
それでも純粋に花と向き合うことで
花が受け入れ浄化してくれる。
浄化することで、これでいいんだな
と自分がどんな状態だとしても
自分を受け入れることができるようになっていきます。
花をいけることで、自分も知らなかった自分のおもいを
花から教えてもらえる時もある。

喜怒哀楽の激しいわたしですが
花をいける時はいつも、平らで静かなココロです。
瞑想している時と近い状態。
もはや瞑想しているのと同じかもしれません。
自分をさらけ出しながらも、花に委ね導かれるのです。
自分が、自分が、と自力でいけようとすれば、
花はさっぱり言うことを聞いてくれず
途方に暮れてしまいます。
大きな大きな壁にぶつかります。
もちろん大きな壁はすでに成長の証。
乗り越えられる時が来たときに現れるのですから
その壁さえも、自分が何とかしようとするのではなく
花はもともと存在するだけで美しいということを
ただただ信じるだけでよいのだと気づいた時に
いとも簡単に消えてなくなってしまいます。
花の美しさを信じる自分を信じるのです。

存在するだけで美しい花たちは
わたしたちが何とかしようとしなくても
どういけたとしても美しいのですから。
その1輪1輪に委ね導かれることで
例え何輪いけたとしても美しい。

それはわたしたち人間も同じこと。
ひとりひとりがそれぞれの才能を
100パーセント発揮できれば
何人集まってもそこには調和が生まれます。
100パーセントの才能とは
誰でも例外なく生まれた時から持っているものです。
それを認めるだけ。まず自分が自分を。

自分と調和することで自ずと
周囲との調和も生まれていく。
自分は完璧な才能を持っているのだと信じ、愛し、
生きるだけでいいのです。
それはこの世界を信じることであり
世界平和へと繋がっていきます。

自分自身に正直に生きること。
自分でなんとかしようとするのではく
「サムシング・ラブ」

「サムシング・ラブ」の前にいつも純粋であること。

そうすれば、花のように美しくリラックスした毎日を
わたしたちも生きていくことでしょう。

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