Here is just LOVE world. 自分らしく純粋に生きる。

「自分らしく」生きる。

今、世界中の多くの人がそう願い、宣言し、動きはじめています。
永い呪縛から解かれてきているのだと感じます。
呪縛をかけたのは自分、解くのも自分。

この「自分らしさ」を語る時
「自分のことは自分が一番わからないよねー」
と締めくくられる場合がよくよくありませんか??

わたしもかつてはそう思い込んでいました。
自分のことは自分が一番わからないとおもうことで
ますます真の自分からは離れるばかり。
自分と向き合うこと
自分を認めることさえ難しくなっていくのは当然のことで
人からの言葉や評価に振り回されてしまうことになる。
あなたらしいと言われれば
「そうなの、わかる?うれしい!」となり、
あなたらしくないと言われると
「どうしてわかってくれないんだろう、、、」
「わたしらしくないって、じゃあどうすればいいの??」
とココロ乱れるばかりです。
結果、自分の言動に自信が持てず気がつけばいつしか
人からどう見えるのかを気にして生きている自分がいる。
漠然と疲れてくつろげない毎日、、、。
そんな思考のぐるぐるから救い出してくれたのは
いつも花でした。

花は自分が花だと言う名前であることさえ知りません。
チューリップはチューリップだということさえ知らず
ただただ純粋に生きています。
この世界すべての気持ちよさのために。
わたしたちを癒し元気づけるために。

花屋を始めた頃、何の花がいちばんすきかと聞かれ
チューリップと答えました。
そして
「チューリップは

つぼみから散るまでのその時々に見せる表情が
あまりに違っていて、そのギャップに魅せられる。
楚々としたかわいらしいつぼみから
これでもか、というくらいに花を開かせ
すべてをさらけ出すような大胆さ。
ピンクの花の奥が妖艶な紫色だったりもする。
散る時には、バサバサっと音を立て
潔く勢いよく花びらが落ちる、、、、、」
と一生懸命チューリップのどんなところがすきかを

説明したのです。
多分ちょっと得意げに。
その質問者から返ってきた言葉は今も忘れられません。
もう20年以上前のことなのに。
「そんなにたくさんの理由が必要なんだ、、、?」

、、、、、ハッとしました。
理由がたくさんある方がすきが伝わる、と思ってたのです。
理由がないのはかっこ悪い、と感じていたのです。
何かを表現するには理由が必要だと。
でもその時、理由をたくさん言っている自分に
確かに何か違和感を感じていたのです。
かっこ悪いなあわたし、、、、
そうです
すきに理由は要らないのです。

それは自分が自分でいることに理由は要らないのと
同じように感じます。
自分らしく生きるのに条件は何も要らないのです。
チューリップは咲いても咲かなくてもつぼみでも満開でも
散ったとしてもチューリップです。
球根の時から朽ち果てるまでどの瞬間をとっても
チューリップなのです。
自分らしい、自分らしくない、

それも含めて全部自分なのです。
今、ここにいる自分が100パーセントで
それ以上もこれ以下もないのだ。
と開き直って生きることで、きっと花のように
純粋に自分を生きるのだと思います。
想像してみてください。
すべての存在が純粋に自分を生きる世界を。
それは間違いなく美しい愛の世界。

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