We are always in LOVE.         わたしたちはすでにすべてを手に入れている。

on a rainy day,be in the rain. on a windy day,be in the wind.

相田みつをさんの詩。

雨が降るたび
風が強いたび

この詩をおもう。

そして

わたしたちはいつも愛の中にいる。と。

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でもこの一見美しく愛満ちる感覚さえも

わたしはいま愛の中にいない、、、、。という思いと背中合わせ。

ある。と感じれば ない。も感じる。

幸せだ。と感じるから 幸せでなくなる。

自信がある。 から 自信をなくす。、、、、、

 

永遠にその繰り返し。

この2極のループからどうやったら抜け出せるのか。

 

、、、、、、、

抜け出そうとするからか!  抜け出せないのは。

いいんだった、そうだった。

この与えられた瞬間を(そう与えられているのだ)

いい とか わるい とかのジャッジをせずに ただただ味わい尽くす。

しっかりと咀嚼して成長の糧とする。(糧とは精神、生活の活力の源泉。豊かにし力づけるもの。)

そして

その糧はいったん忘れてしまっていいと思っている。

下手に覚えているからぐるぐるループにはまるのではないだろうか。

覚えるというより
60兆の細胞たち全体に沁み込ませ記憶する感じでいこう。

毎日は新しいのだから。

 

再び 相田みつをさんの詩。

花を支える枝
枝を支える幹
幹を支える根

根は見えないんだなあ

見えないけれど確かに支えている根っこはあるの。

わたしたちにとっての根っことなる糧。根っこがなければすべては崩壊してしまうように

わたしたちに糧は必要不可欠なのだろう。

そうでなければわたしたちに感情というものがある意味がない。

わたしたちの生の営みは与えられたその瞬間瞬間の繰り返しから成り立つ。

その繰り返しが根っこそのもの。

植物たちは根っこを地に張り容易には動けない分

観念しているのだと感じる。

そう観念しているのだ。何を観念しているかというと

いまここ しかないということを。

いまここ しかないから

すべてはいまここにある。ないものはない。

それを知った上で植物たちは日々新化している。

この世界全体の心地よさのために。

観念して新化する。この感覚こそが愛の中にいるひとつの表現であり

愛そのものなのではないだろうか。

植物たちは愛そのもの。存在そのものが美しく完璧だ。わたしたちも同じ。

愛そのものであり存在そのものが美しい。

生まれたばかりの赤ちゃんのは観念しているのだろう。きっと植物たちと同じように。

その共通点のひとつは 言葉を知らない。ということ。

その頃を忘れてしまいわたしたちはこの世界に生きている。

だから

何かを目指すわけでもなく

何かにならなければならないのではなく

もともとの自分自身を

忘れ去られた愛そのものを

思い出せばいいだけだ。

いたって簡単なことなのだろうに。

 

*ここでいう観念とは、仏教用語の「観念」であり真理または仏を観察して思念すること。わたしにとってインスピレーションやテレパシーのようなものかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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